Zoom会
2025年3月第13回
米国 、 ニ ュー オリ ンズ 、 ジ ャ ズ | 西暦 | 世界、日本、音楽関係の主要なイベント |
コロ ンブス の アメ リカ 大 陸 発 見 | 1492 | |
ニュ ー オ リン ズ は スペ イン の 領地 と な る | 1500 年 代 | |
ニュ ー オ リン ズ は フラ ンス の 統治 と な る | 1600 年 代 | |
アフ リカ か ら 黒 人 が 奴隷 と し て ニュ ー オ リン ズ に 運ば れる | 1712 | |
フラ ンス 人 に より 町 が 整備 され 、 ヌ ー ベ ル ・ オ ルレ アン と 命名され た 。 | 1718 | |
ニュ ー オ リン ズ が 再度 スペ イン 領 と な る | 1762 | |
ニュ ー オ リン ズ は 再度 フラ ンス 領 と な る | 1800 | |
ニュ ー オ リン ズ は ルイ ジア ナ の 買収 に より 、 ア メリ カ 領 と な る | 1803 | |
1853 | 日 本 に 黒船 来航 | |
南北 戦争 、 始 まる | 1860 | |
南北 戦争 、 終 結 、 奴 隷 解 放 と な る | 1865 | |
1868 | 明治 元 年 | |
ニュ ー オ リン ズ で は 黒人 の ブラ スバ ンド が 相次い で 生ま れ 、 葬式 で の 演奏 行進 が 一 般 化 し て くる | 1880 年 頃 | |
1877 | エジソン が レコードを 発明 (円 筒 式 ) | |
1887 | 平 円 盤 レ コ ー ドが 発明 され る | |
ニュ ー オ リン ズ 市 議会 の 指定 に より 、 突 如 、 大 き な 赤 線 歓楽 街が 出来 、 大 い に 栄 える 。 ス トー リー ビル と 名 付け られ た | 1897 | |
1900 | パリ 万 博 開催 | |
ルイ ・ ア ー ム スト ロン グ (愛称 サッ チ モ ) の 誕生 | 1901 | |
黒人 ミュ ー ジ シャ ン が ジャ ズ 的 な ラグ タイ ム の 演奏 を 始め る ダン ス が 大 流行 し て 屋外 、 屋 内 いた る 所 で ラグ タイ ム 音 楽 演奏 が 聞か れ た |
1910 | |
ルイ 少年 が ニュ ー オ リン ズ の 街 で ピス トル を 発砲 し て 、 少 年 院に 送ら れる 。 そ こ で 初め て コル ネッ ト と 出合 う | 1912 | 大 正 元 年 イギリス 客船タイ タニ ッ ク 号 沈没 |
W. C ハン ディ ー が セン トル イス ・ ブ ルース 等 の ブル ー ス 曲 を 相次 いで 発表 し 、 ブ ルー ス ブ ー ム が 到来 する | 1914 | |
1914~1919 | 第 一 次 世界 大 戦 | |
ジャ ズ の 語源 ― ASS ― が 初め て シカ ゴ で 使わ れ た | 1915 | |
1916 年頃(大正5年頃) | 日 本 に ジャ ズ 伝 来 | |
米国 が 第 一 次 世界 大 戦 に 参戦 し て 、 ニ ュー オリ ンズ は 軍港 と なり 、 大 歓楽 街 ス トー リー ビル は 閉鎖 きれ た。 白人 バン ド ODJB が 史上 初 の ジャ ズ ・ レ コード を 発売 し て 、 爆発 的 な 売り 上 げ を 記録 し て 、 ジ ャ ズブ ー ム が 起こ る |
1917 | 電気 録音 方 式 レコー ド が 開発 され る |
ニュ ー オ リン ズ の ジャ ズ マ ン は シカ ゴ 、 ニ ュー ヨー ク 、 ロ ス アン ゼ ルス に 移動 する | 1918 | |
1920 | 米国 で 世界 初 のラジ オ 放 送 が 開始 | |
1920~1933 | 禁酒 法 時 代 | |
キッ ド ・ オ ー リ ー( ト ロン ボー ン 奏 者 ) が 黒人 バン ド 初 の レコ ー ディ ング を 成 し と げた。 ルイ ・ ア ー ム スト ロン グ ( サ ッ チ モ ) が キン グ ・ オ リバ ー 楽 団 に参加 の た め に 、 シ カゴ へ 向かう |
1922 | |
2025年2月第12回
2月21日に12回目のZoom例会が開かれた。待ちに待った岡田君の「お遍路」の講演を聞けたのは北沢君、山田君とホストの渡部のみでちょっともったいない感じであった。岡田君からレジメと十分な写真とをお送り頂いているのでZoomで聞けなかった皆さんにも四国遍路の楽しみをご理解頂けるように纏めてみました。
1 | 私がお遍路を始めた動機 |
バス遍路で仲間と話し合ってやはり一人歩きでないとお接待などの地元の人との交流が少なくて物足りないことを確認した。折角長期間かけてやるのだから、物見遊山の旅行気分ではなく、真摯な姿勢で集中してやるのが良いと思った。 |
2 | 遍路の概要(Wikipedia) |
四国八十八箇所(しこくはちじゅうはっかしょ、四国八十八ヶ所とも表記される)は、四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の仏教寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。他に「八十八箇所」「お四国さん」「本四国」などの呼称がある。四国八十八箇所を巡礼(巡拝)することを四国遍路、遍路といい、また四国八十八ヶ所霊場会では「四国巡礼」といい、他に「四国巡拝」などともいう。俳句では春の季語となり、地元の人々は巡礼者を「お遍路さん」と呼ぶ。また、札所に参詣することを「打つ」、巡礼に親切にすることを「お接待」と表現する。 |
2.1 | 沿革 | 空海上人(弘法大師、遍照金剛 真言宗・ご真言 |
2.2 | 仕組み | 四国四県 1132km 88霊場→お遍路地図 同行二人 本堂・大師堂 順打ち・逆打ち |
2.3 | 作法
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合掌礼拝、開経偈、懺悔文、三帰、三竟、十善戒、菩提提心、三摩耶戒、 |
3 | 私の体験 |
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平成27年、28年 | バス2週間で全行程 結願2回 物足りなくなって歩き遍路↓を計画 |
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平成29~30年 | 歩き遍路(6回に分けての区切り打ち) 結願1回 ①29年4月 2日~ 4月 3日(2日) 1番寺~7番寺 ② 4月28日~ 5月 8日(11日)8番寺~27番寺 ③30年4月24日~ 5月 6日(13日)28番寺~35番寺~41番寺 ④ 7月30日~ 8月 7日(9日) 44番寺~64番寺 ⑤ 10月26日~11月 3日(9日) 42、43、61番寺~75番寺 ⑥ 11月22日~11月30日(9日) 77番寺~88番寺、1番寺、 高野山
計 53日 |
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令和6年 | 自転車1回目 ⑦令和6年9月5日~ 9月10日(6日) 2番寺~24番寺 通算 計 59日 |
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4 | エピソード |
・浄化 |
5 | 効用 |
・自然を体感 |
2024年12月第11回
24年12月のZoom例会が12月20日に開催された。今年最後のZoomというのに(今年最後で忙しい人が多くというべきか?)出席された人は北沢君、山田君とホストの渡部だけという寥々たるものであった。遍路先から出席をお願いしていた岡田会長は遍路そのものをキャンセルしなければならない緊急案件が生じたという北沢君からの情報であった。横山君も出席予定であったが彼もまた緊急の用事が生じたか欠席となってしまった。常連の寺崎君も同様、未だに現役で国際会議や上海の大学関係で忙しい、幹事の三浦君からも事情があって出席できないとの事前連絡があった。3人だけなので1次会のみで記念写真も撮る機会がなかったが話し合った主なことを下に記す。北沢君 | 私が住んでいる港区はふるさと納税で区外に流れる税額が大きく、高額納税者は毎日のようにお礼の品物を受け取って税金逃れをしているのは問題だ。 |
渡部 | 横浜も同様。でも税金は故郷に払っているから「税金逃れ」とは言えないのではないか?返礼品だけは「儲け」にはなるだろうが・・・。(渡部の誤解で実際は下図の通りで、「ふるさと納税」ではなく「ふるさと寄付」) |
山田君 | 山形市の返礼品に自分の会社の品物が選ばれている。 |
https://furusato.mynavi.jp/blog/structure/
山形市は寄付金額順位47位
■会員訃報
遠藤君の訃報から風呂での突然死の原因と対策の話になり、次のような結論になった。今年は武田君、李さんを始めとして東士会のメンバーが次々と亡くなられた。残された我々も明日何が起きても不思議ではない。精々生きている間は好きなことをして楽しく暮らしたい。
2024年9月第9回
24年9月のZoom例会が9月20日に開催された。出席予定者の岡田君と寺崎君が急遽仕事の都合で欠席となり山田君、北沢君、横山君と渡部の4人だけのネットミーティングとなってしまった。期待していた岡田君の自転車による四国遍路のプレゼンは次回の11月に回された。横山君は今の韓国、北沢君は旧満州からの引き揚げを体験されているそうでその時の苦労を生々しく話された。横山君のアルゼンチン大使と千代田化工の実験プラント訪問(下の写真を参照)の話は少人数で聞くのは勿体ないので次回以降のもっと出席者が多い時にやって頂くことにした。横山君から提供頂いたアルゼンチン大使の日本の茶道とアルゼンチンのマテ茶に共通点を見出している
エッセイも興味深いので参照されたい。渡部からは話題提供として自宅近くで撮影した「ダイヤモンド富士」の写真を共有した。併せて富士が見えるところであれば年2回撮影チャンスがあるのでそれを調べるサイトも共有した。北沢君からのジャズの話も待たれるので今後の講演には事欠かない状態となっている。今回は講演がないこともあって1次会のみの 例会となった。参加者増加の1手段として北沢君はスマホを使って参加されている。その方法のマニュアルを渡部が作ることも考えたい。
尚、ホストの渡部が参加者として出席した別のZoom meetingは一コマ30分で終ってしまったので心配したが今まで通り40分であることも確認できた。
アルゼンチン大使と千代田化工の実験プラント見学
(写真をクリックすれば原寸大でご覧になれます)
渡部の自宅の付近から撮ったダイヤモンド富士
シンポジウムの写真
録音はしたが今まではそれを聞きながら手作業でタイプしていた。このAI時代にいかにも効率が悪いので録音から直接日本語でワード/テキスト文書に書き起こす無料のアプリを検索中。HP管理者の「働き方改革」という大義名分もあるのでしばらくご猶予のほどを!何かいいアプリをご存知の方はご一報下さい。
2024年5月第6回
24年5月のZoom会が16日に開催された。出席者は山形から山田君、関東地区からは横山君、北沢君と三浦君とホストの渡部、四国遍路をされている岡田君が飛び入り参加されて延べ6人のZoom会となった。スナップ写真に岡田君の今回は自転車での遍路の写真を撮れなかったのはホストの渡部の痛恨の極みで岡田君には誠に申し訳ない結果となった。Zoom会での録音を上の通り添付したのでそれで会員諸兄姉のお許しを乞いたい。
最初は横山君が新調したパソコンの話で盛り上がった。月13000円の5年契約のリースだそうでハードが壊れてもすぐ別の代替機を準備してくれる、操作が分からない場合はOnlineで画面をリモートから見ながらサポートしてもらえる。今までのように故障を直そうとして何時間も浪費することはなくなり大満足だそうである。北沢君は故障した場合はすぐに梱包して山形の義理の弟さんが経営するパソコンショップに送ると翌日に直してすぐ返送してもらえるそうだ。山形の山田君は渡部の郷里の山林火災の紹介(弟のブログ)の補足と趣味のヘラブナ釣りの話があった。最近の大会ではヘラブナ40cm2枚を釣り上げて優勝されたそうである。
今回は横山君が「パタゴニアの風力発電をいかに日本、さらには世界の発電のグリーン化に寄与する」かという彼の生涯の夢が実現に向けどこまで進んでいるかの最近の現状を講演して頂いた。日本の電力会社、政策、技術のベクトルがようやく実現化の方向に向かっていることを強く感じた名講演であった。詳しいことは下敷きにされた東士会掲示板5月13日付同君の投稿抜粋を照会下さい。 講演後のQ&Aセッションは録音書き起こしのWord文書を照会下さい。Q&Aセッションの後は世界の政治情勢の話になり、世界のリーダーたちが我々と同じ年代というのは憂うべきことだから、後何年生きたいかという雑談になった。
同君の「パタゴニアプロジェクト」ページを今までの経過が分かり易くなるよう編集し直しましたので併せてご覧ください→パタゴニアプロジェクト
2024年3月第5回
24年3月のZoom会が15日に開催された。出席者は山形から山田君、関東地区からは北沢君とホストの渡部、遠く上海から寺崎君が参加されて4人のみのZoom会となった。常連の岡田君、横山君、三浦君は仕事があって欠席。始めは亡くなった鈴木直禎君の思い出話などで湿りがちであったがよもやま話になると俄然話が盛り上がった。ワンクリックで参加できるのにどうして参加者が増えないのだろうという声も聞かれた(我田引水!😅)
北沢君がジャズの世界では葬式の帰りは天国に旅立った故人を祝って賑やかに演奏しながら帰ってくると言われた通り彼ならではの美術界の裏話や有名画家のエピソードを披露して会話を盛り上げてくれた: 絵具は最上のものはラピスラズリなどの宝石を砕いて色を作った。その色を定着させるのに色々な方法が使われて来て西洋ではフレスコ画やテンペラ画が最初であった。フレスコ画は漆喰が乾かない内に色を塗る、漆喰が乾く過程で表面に硬い膜が出来る。その膜で絵具を定着させた。最後の晩餐もこのフレスコ画である。テンペラ画は卵を混ぜて定着したがネズミが齧る恐れがあったので油を使うようになり、これが現在の油絵となった。油絵具はチューブに入れることによりどこででも使えるようになった。日本画では膠で溶いて定着させた。石で作った絵具は高価でゴッホは弟が画商で最高の絵具を送り続けたのでゴッホの絵は色褪せがせず今でも輝いて見える。石を使った絵具は高価で若い絵描きは使えなかった。東山魁夷画伯は若い頃の絵を持ち込むと「預からせてくれ」といってしばらく返ってこなかった。補色をして新品同様の絵になって返って来たのでありがたかった。部屋に飾ってあった絵は上村敦之先生の桜とカワラヒワの絵で先生は父親(松篁)祖母(松園)と共に3代そろって文化勲章受章者。最後はみんな元気で生きていこうということで締めになった。
(逐語に近い?書き起こし)→ここをクリック
↓寺崎君が3/16/24に掲示板に投稿された彼のCambridge時代のホストの奥さんから翻訳を頼まれた「科学者と贋作者」の原本
2024年2月第4回
24年2月の初Zoom会が16日に開催された。今年初会合なのに出席者は山形から山田君、関東地区からは三浦君とホストの渡部の3人のみのZoom会始まって以来の最小参加者となった。常連の寺崎君、北澤君、岡田君たちが外にアポがあったとはいえ「寂しい限りである」。と見るべきか、リアルの例会のレポートにあるようにそちらに出席できる元気な会員が大勢おられるから喜ぶべきことと見た方がいいのか、Zoomのホストとしては両方に出て頂きたい心境である。今回は特に講演会を設けなかったのもその一因かも知れない。尾形君の思い出話としてはカラオケ会で毎月一緒に歌っていた渡部が話題を提供した。「早稲田のグリークラブのトップテナーだった」と自称するだけあってカンツォーネ、シャンソンが得意であった。銀座のクラブでカラオケをやると他の酔客からお捻りが飛んだという自慢話を披露されたこともあった。彼の郷里の金山での山形東士会と合同での会合('10、'13)の思い出話も出た。武田和君はいつもニコニコされていて穏やかな人柄であった。高校時代から彼の温顔は変わることがなかった。他の話題としてはたまたま三浦君が前日NHKの「あしたがかわるトリセツショー」で放映された内容が1月例会で関根君が紹介した健康法と同じと言及された。渡部もそれを見ていたのでひとしきり盛り上がった。渡部は毎日の散歩に早速速歩を取り入れたが、同じように速歩をしている人を見てTVの影響がいかに大きいかを知った。
下図は万歩計で有名なヤマサのサイトから抜き出しました。
クリックすれば元の画像の大きさでご覧になれます。
2次会は山田君のみとの対談になったが山田君の趣味の広さにびっくりした。鳥が好きだと言われたのでバードウォッチングが趣味で野鳥の素晴らしい写真をいつもアップしている同期の日下部君のブログとバードカービングが趣味の愚弟のブログを紹介した。
3月度の参加者数を多くするため皆さん興味を持たれる講演・セミナーを催したいと思っています。事前にご承諾いただいた講演を三月度のZoom会の発表時にお知らせします。また誰のどんな話を聞きたいかを渡部宛てインプットください。
2023年12月第3回
1日繰り上げて14日(木)に開催。出席者は山形から山田君、関東エリアからは秋野君と横山君のみのホストの渡部を入れても4人のみのささやかな例会となったがそれだけに親密なものになった。常連の岡田君は前日までは出席の予定であったが緊急の案件が入ってやむを得ず欠席するとの電話を頂いた。北澤君も常連の一人であるが大きなオークションがあるので欠席との事前連絡を頂いた。同期生の中にもまだまだ現役の人がいるのは刺激になる。横山君はその現役組の一人であるが今回は参加された。前回トラブって参加できなかったPCを自分でクリーンインストールされたとか。しばらく日本/中国の経済状況の話をしてから山田君経営の農園の話になった。今青菜漬で忙しいとのこと、というのは青菜を作る農家が減って漬物工場からの注文などが増えたからだそう。青菜(高菜)は野沢菜より美味しいとかしばらくは山形の漬物の話で盛り上がった。渡部の背景のクリスマス飾りは実は仮想背景で「ローソクを付けて回転させてみてくれ」との要求には直ぐには応じかねるという笑い話もあった。この後渡部が2005年に友人と二人で四国遍路をした時の写真集をDVDにしたもの見て頂いた。徳島/高知 (阿波/土佐)の2国の39ヵ所のお寺を巡礼した。岡田君は88ヵ所を全て打って結願されている。横山君は四国遍路を大阪時代に車で巡礼されたとのこと。秋野君は海外で「ちょぼっと」巡礼されたそうで友人3人と翻訳機を片手にポルトガルの聖地をカタコトで歩き切ったそうである。
2023年11月第2回
17日に開催。出席者は仙台から寺崎君、山形から前回講演された山田君、関東エリアからは佐藤(洋)君、秋野君が初参加でZoom例会デビュー、ホストの渡部を入れて5名のみであった。常連の中川さん、三宅さん、北澤君、尾形君、横山君を欠いたがリアル例会皆出席の秋野君が出席されたことはホストとしても心強いものであった。岡田君は弁護士業が忙しくお客様とのミーティングが早く終われば参加とのことであったがサインインされようとした16時には既に会は終了していた。佐藤君が2002年からJICAの海外協力隊のシニア隊員としてラオスに派遣され現地で2年活躍されたがその経緯と現地での仕事内容/環境についての講演をされた。加えて帰国後2007年に東士会の有志を募ってラオス旅行をされた時の300枚の写真(同行された西口君提供)から渡部が興味を持った写真15枚を共有しながら解説頂いた。内容を下に示す。
ラオス(Wikipedia) 地図↓ ![]() |
佐藤君講演内容(要約、文責渡部)➞ここをクリック |
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ラオスの民家(新築だそう)。後ろは椰子の木。 背景の山は典型的なラオスの山で佐藤君は山形の馬見ヶ崎川河畔からみる 盃山を思い出したそう。 |
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ラオスの小学校生。学校帰りで皆カバンを下げている。 |
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眼がいいね(寺崎君) 籠の中の小動物は捕まえた野鳥。寺院前で観光客に売って 「放鳥のの功徳」をさせてやって小遣いを稼いでいる。 |
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道端に広がった「生産者直販」市場。 野菜だけではなく昆虫等も売っている。ハチノコを 巣から取り出している写真もあった。 |
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寺院前の石段に立つ佐藤君と秋野君。 階段の広く立派なことに注目。 |
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3人が泊まった民宿。 手に持っているのはペットボトル水? 佐藤君によると水道水を直接飲んでも外国人が下痢するようなことは ないそうだ。 |
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ラオスの典型的な昼飯。 麺は米粉で野菜はパクチー。タイ料理の様に辛くはないが好みの応じて 奥に写っている唐辛子も入れることができる。 |
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ラオスビール。右手の男性は運転手兼ガイドさん |
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仏教寺院。ラオスの仏教は我々日本人の大乗仏教徒に言わせると 小乗仏教だが彼ら自身は上座仏教と呼んでいる。お釈迦様の教え そのものに帰依していることを誇りに思っている人が多い。 |
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メコン川上流にある洞窟寺院。 |
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そのメコン川を上下する船。 あれ秋野君なんでそんな特別室を独占⁈ と思ったらこの船の船頭さんだとか |
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乗客は2+1? |
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メコン川は雨季には濁る |
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こんな2階建ての船もある。背景の山の崖はメコン川に侵食されてできた(多分)。 |
2023年9月正規第1回
15日に開催。今月から試行会という副題なしの正式のZoom会となった。出席者は上海から仙台に帰国された寺崎君、山形からは今回の講演もされた山田君、関東エリアからは中川さん、弁護士会での活動の後途中から参加された岡田君、自宅で療養を続ける尾形君、北澤君、佐藤(洋)君、参加されたが回線故障?で途中で断念された横山君とホストの渡部を入れて9名と久しぶりに賑わった。それに花を添えたのが山田君の「農業と障がい者支援」で、蔵王の坊平で農業を営む会社の社長として社員に障がい者を雇用して社会に貢献している現況をパワーポイントを使って説明された。収支は?という質問には税金を納めているとの回答で経営者としての手腕も実証されている。東士会メンバーの輝かしい現役組の一人としていつまでも元気で活躍して頂きたいと思った次第。詳しい内容はこのPPファイルを参照されたい→PPパッケージ。
たらればの話しになるが今回都合で欠席された三宅さんが出席されていたらZoom会初の2桁の出席者になったのにと残念。
第9回(正規1回)記念写真
第6回記念写真
第4回記念写真
寺崎君セミナーハイライト(セミナーパッケージから抜粋。画像をクリックすると大きな画面でご覧になれます)
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時系列通覧 1967-2003 東北大助手→助教授→教授 この間 1982-1984 英国王立協会・客員研究員、 ケンブリッジ大学 1988,3月‐9月 スウェーデン自然科学協会・ 客員教授、ルント大学 2003-2016 アレニウス研究所・主任教授、 ストックホルム大学 この間 2014-2017 招聘・訪問教授、カルフォニア大学、 バークレー校 2009-2013 招聘教授、KAIST 韓国 2015-2017 特別招聘教授、上海科学技術大学 2017-2022 教授、電子顕微鏡主任、上海科学 技術大学 2022 帰国 |
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生涯のメンター(よき指導者、庇護者)Sten Andersson 褐色に色褪せた書類は寺崎君が生涯のメンターとして尊敬するSten Anderssonから貰った手紙: 55年前に質問、それに対して大事なオリジナル実験データにその解釈を添えた予期しないスタイルの返事を貰った。それを宝として外遊時代も大事に持ち歩いていた。 約35年前まで、テトラパックの製造過程で匂う有機分子ガスは環境に放出されていた。Stenはそのガスを捕捉するアイディアと装置を開発中であったが、当時寺崎君が研究していた疎水性ゼオライトの利用を勧めて見事成功し、少し恩返し出来たと思っておられるそう。 |
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スウェーデン時代 ・スウェーデンは素晴らしい国、子供と老人(特に子供)が大事、貧富の差が少なく、基本的医療が充実、高度平等で福祉も最高 ・公私ともに生活をエンジョイできた ・スウェーデン国王夫妻臨席のもと市庁舎で任命証書をスウェーデン大学学長から授与される(右写真参照) ・日本人の著名な研究者の講演会などを日本学術振興会に協力して企画 ・ノーベル賞ポスター(物理、化学)の日本語訳に尽力 |
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ケンブリッジ大学 ・Prof J.M. Thomasの下18ヵ月王立協会の招聘客員研究フェローとして研究。彼から長期に亘り絶えざる支援と激励を受ける。キングスカレッジのハイテーブルのメンバーになる。 「階級社会」の一端(名残)に触れる。 ←故Sir J.M. Thomasの追悼式:彼が晩年学長を勤めていたセントピータースカレッジ主催で行われ、その際彼の誕生70年記念シンポジウム出席者・写真の一部が流れた。寺崎君の左はキャベンディッシュ研究所長Arthier Howie. 彼からも多大な知遇を貰った。 |
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中国 2003年友誼奨受賞 上海科学技術大学招聘教授 |
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ドイツ ・フンボルト研究賞受賞(アレキサンダー・フォン・ フンボルト財団)、マックスプラン研究所で 8か月滞在 |
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アメリカ ・カルフォニア大学バークレー校、招聘訪問教授 優秀な院生、ポストドクターと共同研究 ・グローバルメンタリングに参加・協力 ベトナム2回、マレーシア1回訪問 マレーシアはサウジアラビア同様イスラム教国、しかし女性が一人で或いは赤ちゃんを連れて講義・実習に参加するなど将来が楽しみ!(写真右下) |
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← 終活(相続編)トラの巻
- 遺言書(いごんしょ)は相続の一環である
- 相続人は続柄によって相続分が法律により定められている
- 遺言書はそれをある程度変えることが出来る
- 相続人間の相続争いを防ぐのに有効である
- 相続人は自分の相続分を自分の意志で変えることができる(相続放棄、遺留分の請求など)
- 自筆の遺言書は法務局(遺言書保管所)に預けることが一番安全
(下の遺言書の様式の注意事項参照)
←自筆遺言書の様式の注意事項
(自筆証書遺言書保管制度のご案内 5ページ)
- 財産目録以外は全部自筆 、用紙はA4、長時間保存でも消えないボールペンなどで書く
- ハンコは認印でいいのは意外であった
2022年9月第2回
23日に開催。出席者は遠藤君、岡田会長、北澤君、寺崎君、中川さん、横山君と渡部の総数8名で前回と同じ出席者数であった。これから参加者数が増えるかどうかでこのZoom試行の継続のGo/No
goが決まる。10月度の「講演」は岡田君が我々の終活の重要な一環である「遺言書」の書き方を教えてくれることが決まった。今後の参加希望者のためにパソコンお助け隊のページに「Zoomを気軽に楽しむ法」を加えましたのでそちらもご参照ください。
以下に出席者の主な発言内容を記す。
全員揃うまでの雑談 | ・尾形君の顔色がいい、壁の額は東山魁夷? ・渡部の背景はハワイ?→実は部屋のぼろ隠しのZoomの機能の一つの仮想背景を利用 ・現役の人たちは元気がいい。上の写真で岡田君、北澤君、寺崎君、横山君が現役。健康が第一。 |
尾形君 | ・元気になれる兆しが見えて来ている。一層の精進を続けたい。 |
北澤君 | ・足の怪我は杖なしで歩けるようになり先日は怪我後始めてゴルフをやるほどに回復した。後3ヵ月リハビリすれば元通りになれる。 ・2020年に版画の贋作を見つけ背後に大がかりな偽造団がいることが分かった。見つけた偽造品は300点。日本は版画の国として世界的に認められていて放っておくと日本美術界の信用問題にもなりかねない。岡田君と協力して対策を進めようやく収まりかけている。 ・真贋の決め手には使われている絵具、紙、作家のサイン、印鑑など色々あるが他に作家の保存版と比較するという手段もある。 |
岡田君 | ・北澤君の版画の贋作に関連して; ・北澤君は版画鑑定の日本の第1人者である。 ・20年経てばその時持っている人に所有権が生じる「時効取得」という法律がある。 ・贋作の他に美術品、骨董品には盗み・保管・販売の「専門グループ」が暗躍していてこの世界は奥が深い。 ・時価1億円の刀剣の所有権の裁判に係ったことがある。 |
横山君 | ・水素エネルギーの普及は業界がばらばらで遅々として進まない。まだ体も丈夫だし頭もはっきりしているからライフワークとしてこれからも頑張って行く。 |
中川さん | ・バックの襖の字は中国の書家に書いて貰った肉筆 ・山形での附中の同窓会に出た。前回は4年前。この4年で随分健常者が減った。山形の男性には腰が曲がっている人がいてびっくり。東京からは岡田・佐藤(洋)・秋野の各氏と中川が参加。 |
遠藤君 | 特になし |
寺崎君 | ・60歳で日本脱出。スウェーデン、韓国、アメリカ、中国と世界のあちこちで若い人を育てた。帰国して仙台に落ち着こうとしているがまだ荷物が片付いていない状態。 |
渡部 | ・世界の有名大学がインターネットで提供している通信教育システムのedXというのがある。それで機械学習というAIの一種の講座を受講した。その体験記の報告→パワーポイントパッケージ、PDFファイル パワーポイントはスライドショーでご覧になると私の説明通りになります) ・絵を描くAIもある(北澤君)。俳句を作るAIもありこれからは芸術関係のAIも出てくることが予想される(渡部)。 |
プレゼン後 | ・10月度の「講演」は岡田君が弁護士として得意分野の一つである「遺言書の書き方」を教えてくれることになった。寺崎君もその内に自分の外国生活について話すためにパッケージをまとめたいと思っている。 ・12/5人形町で岡田君がシャンソンのコンサートを行う予定。 |
2022年8月第1回
12日に開催。出席者は岡田会長、遠藤君、中川さん、寺崎君、福島君、北澤君、横山君と渡部の総数8名で初めてのバーチャル会合としては心強い参加者数であった。直前にキャンセルされた人が2名いたので本来なら10名というのはコーディネーターの欲目か。「近況報告」をとお願いしていたのだがそれ以上の専門的な話題も飛び出し第1回のZoom会としては大成功だった。TV番組「The名門校」で母校の山形東髙の録画も共有出来て将来の可能性として誰かが「自分の専門分野を分かりやすく説明する時間」を設けることが出来ることも理解できたと思う。それが次回以降の目玉になればこのZoom例会の発展につながると思っている。
写真は2次会終了時のもの。1次会の8名から2名欠席されています。1次会で撮るべきでした。お詫びいたします。